こんにちは!
さて、いつも何かをする時、その行動は本当にあなたが決めているものですか?
あれ?これ、僕が(私が)したい事だっけ?
と思う事ありません?
祖母との食事の時、よくこんな事がある。
食卓に並んだご飯やおかずをひとしきり食べ終え、少しご飯が残った茶碗にお茶を入れて食べようとすると、祖母から勢いよくこんな言葉が飛び出す。
「もうあと1杯ぐらいだから、食べてしまって!」
と、僕の茶碗に一食分のご飯を放り込もうとする。
お腹の具合と言えば、「あ、このお腹いっぱい具合であと少し食べたら、お腹痛くなるな」という状態だ。
拒否すると「男のくせに」「これぐらい食べて当たり前」と自分の「べき」を押し付けてくる。
こんな時、いうことを聞いて追加のご飯を平らげると、やはりお腹が痛くなる。
今でこそ明確に拒否しているが、幼年期〜青年期にかけては勢いに負けてしまう事が良くあった。
これは日常のほんの些細な出来事だ。
けれど、「他人から半ば強制された行動」で自分が不利益を被った時、大きく後悔する。
自分のせいにできず、他人のせいにしてしまい、憎しみが腹に溜まって苦しむからだと解釈している。
あるいは、「不利益を被ったのは自分のせいだ」と自分を責める事さえある。
そう。他人も自分も、責めるのは苦しい。
相手が善意から勧めてくれる事であっても、それは「相手の」満足であって、あなたの満足とは=では無い。
こういう事は、人付き合いや、職場の中でも良くある。
つづく