時折見かける、老いたホームレス。
彼らは来る日も空き缶を集めている。
雨の日も、雪の日も。
望んでそんな生活をしているとは考えにくい。
なぜ彼らはあのような生活を送っているのだろう?
彼らの年齢なら、高度経済成長又は、バブルの恩恵は十分にあったはず。
多くの「一般」と言われる同世代は、きっと違う人生を送っていると思う。
とりあえず会社へ行き、上司に逆らわずにいさえすれば、家のローンを完済でき、年金をもらいながら悠々自適に生活できたはずだ。
なぜ、レールから外れたのだろう?
俺は子供の頃から、親をはじめ、そういったレールから外れた人達を見て来た。
彼らは病的な浪費癖や、ギャンブル依存、対人障害があったように思う。
そういう人達でさえ、ナマポ「生活保護」に守られ、屋根の下で寝て、普通に食事をし、文化的な生活を営んでいる。
裁判傍聴仲間の元ヤクザも、生活保護をもらって生活している。
過酷な空き缶集めなんかしなくても、生きていけている。
だからこそ謎だ。路上で生活をし、ひたすら空き缶を集める。そこにどんな人生があるのか。
子供の頃の借金取りに追われる生活体験から、僕は普通の社会人からハミ出るのが怖かった。(みんなにはやりたい放題だと言われると思うが。。)
路上生活者を見て、僕もああなるのではないかと、子供の頃から恐怖を感じて来た。
だから、小学生の頃から「大学へ行き、商社に就職して、当時流行っていたトレンディドラマのような生活をする」と、決意した。
が、世界はすっかり変わってしまった。俺たちロスジェネの貧乏くじ世代には、夢など無い。
新たなチャレンジを来年からしようと思うが、空き缶拾いの人々の事を見ると、二の足を踏んでしまう。
彼らは何かにチャレンジして敗れ、あの生活をしているのだろうか。
何かと戦ったんだろうか?
まだ、この恐怖とは決別できない。一生できないのかもしれない。
そんな迷いを抱えた日曜日の夜でした。