糸島シェアハウスのイベント、「鳥をしめるワークショップ」に参加してきました。
生き物を殺す事について、賛否あるかと思います。
でも、一部ベジタリアンの人を除いて、生き物を殺さずに生きている、生きて行く人なんて、居ないのではないかと思います。
というか、「命」という観点で言えば、木や草も生きていて、それを食べるという事は、殺すのと同義のような気が、僕はしています。
「買ってるだけで、殺していない」という人も居ると思います。
でも、スーパーでg100円とかで売っている鶏肉も。
しゃぶしゃぶ用の鹿児島黒豚も、きっと生きてたんだよね。
で、誰かが生き物の姿から肉にしてくれて、それを僕らが買ってるんだよね。
だから、間接的には殺して食べている。
そういう事だと僕はとらえる。
食べる事、殺す事、買う事は、本当は全部繋がっていて、だから知りたい。
そう思ってこのワークショップに参加しました。
1.衝撃!鶏の予定が鴨になっとる!!
鶏をしめる予定だったんですけど、シェアハウスの方々の人柄もあり、ご近所さんから合鴨農法で働いてもらってた鴨君をいただき、それをしめるらしい。。。
「なにこれ。。。かわいい。。」
だっこすると、あったかくて、ふわふわ。
ええ。。。早速不安おれ、こんなの殺せるのか。。
2.説明の後、早速の解体開始
内容の詳細はここでは載せません。。。
ご想像にお任せしますが、行程としては
- 鴨をシメます。出来るだけ苦痛の少ない方法を実施
- 血抜きをします
- 毛抜きの下ごしらえをし、毛を抜きます
- 鳥を裂き、内蔵を取り出します
- 肉を解体します
- 各部位を調理します
大まかにはこんな感じです。
生きていた鳥さんが、僕らが知ってる「お肉」の姿にこの行程でどんどん変わって行くのです。
後で、今回鳥をしめた事で何を感じ、どう思ったかを話し合いましたが、「生き物」という認識から「お肉」という認識に変わる境目は人によって少し違いました。
大きく分けて
- 死んだ瞬間
- 毛をむしられて肉っぽくなった時
この2つの意見が多かったです。
僕は、首を落とし、命が無くなった瞬間に「ああ、今から本当にこれを食べるんだな」今思えばそう感じていました。
3.怖さ、グロさについて
過去、シェアハウスの方のBlogが炎上したり、残酷だと批判があったのは知っていました。
だから、今回は多少なりとも怖さやら、グロさやらを感じるのを覚悟の上でした。
確かに命を終わらせる瞬間には、何とも言えない感情になったのですが、シェアハウスの人達が手際が凄く良くて、鳥が苦しむ場面が全く無かった。
だからなのか、さばく時にも怖さ、グロさは感じませんでした。それよりも・・・
へぇ、すごい。こうなってるんだ
自分が普段食べているものに対して理解と関心が深まっていきました。
これはきっと、体験しないと分からなかったと思います。
鳥の暖かさ。現場の匂い。空気感。参加して自分でやれば、有り難さを感じる度合いが強まっいきます。
4.実食ターイム!
鴨は2羽いただいたのですが、クリスマスという事もあって一匹は丸焼きに!
アメリカなんかでは七面鳥を丸焼きにするんでしょうけど、似たような行程でつくられてるんでしょうねぇ。
今回は、シェアハウスの料理担当イケメンのコーイチさんにより、アジアンテイストなスパイシーチキンとなりました。
糸島で取れ田であろう根菜も味付けや焼き加減が絶妙で、凄まじく美味しかったです。
貴重な手羽元のお肉をいただきました。
鴨の食感は、普通に売っている鶏肉(ブロイラー)のように柔らかくほろほろとした感じではなく、地鶏ほど固くもなく、程良い弾力と歯ごたえが格別に美味しかったです!
内蔵、他のお肉も焼き鳥にしてもらいました。
こーいちさん。。寒い中1人で焼いてくれてありがとう。行動まで男前過ぎて惚れます。
先述したように弾力のあるお肉と、新鮮なレバーは絶品!
それから、もの凄く貴重な鳥のタンもいただきました。
コリっとした食感が本当にタンでしたよ。美味しかったぁ。
この時感じたんですが、お肉と、鶏皮はそれなりに1羽から分量とれるものです。
しかし、レバーや砂ずりなんかの内蔵系は、当然ですけど1羽からは少ししかとれない。
これまで焼き鳥屋さんでそこまで考えず注文してたんですけど、今回の事で色々考えさせられました。
すべてを美味しく、有り難くいただきました
先日、シェアハウス住人の畠山千春さんに本にサインしていただきました。
「わたし、解体はじめました」この本のテーマや、彼女が伝えたい事、大事だと思っているこのことを、体験を持って学ばせてもらいました。
これは、僕自身が常日頃思っていたテーマとリンクする所があります。
3.11の震災は僕らにいろんな変化をもたらしました。
当時僕が勤めていた会社は、電力の関連会社であったため、電力会社の生活や雇用を守るために契約社員の契約打ち切りが容赦なく実施され、社員でも退職する人間が続出しました。
組織とは、自身の存続のためには、個人を打ち捨てるものです。
お金を沢山持っていれば、それなりに安心だと思いますが、お金を稼ぐステージである会社なんて、簡単にクビになるものだと実感したものです。
「お前は大丈夫だから」「来年は管理職」「海外研修は楽しいぞ」
いろんな甘い言葉を言われても、もう信じる気になりませんでした。
口での約束なんて、会社と個人の場合なんか特にすぐに反古にされるのです。
それじゃ、安心して生活するにはどうしたらいいのか?
生きる事、食べる事、住む事、仕事これらを自活するのが最良の道だと僕は思います。
もちろん、安易な道ではないのはわかっているけれど、そういうもの求め、「食べる事」を教えてくれるこのワークショップに参加しました。
そして、参加してよかった!
僕は、世の中的にこのムーブメントがもっと広がれば楽しいし、そうなるべきだと思っています。
人口が減ってると騒いでいる日本ですけど、世界的には必ずしもそうじゃない。
アフリカでは人口爆発が怒っているし、新興国では経済とともに医療も発展してきていて、人が死ぬ確率も減ってる。中国なんかもともと人口が凄いですよね。
だから、世界的には人間が溢れている。
その溢れんばかりの人間全員が、今の僕たちみたいな生活出来るわけが無いと、感覚的に思ってしまうんです。
スーパーやショッピングモールにものが溢れ、食い物も廃棄するほどたくさんある。
もし、世界中が日本ぐらい豊かになって、全員がそれを求めた時に、地球の資源で耐えられるのか?
そんな風に思ってしまいます。
そう考えると、やっぱり「買う」という単純な生活行動以外もやりたくなるんです。
首都圏の従姉妹は、震災でコンビニから食料や水が無くなり、とても焦ったそうです。
「店でものを買う」しか知らないのと、「水も食料も、とりあえずは自給出来る方法を知っていて実行出来る」人とでは、生活の安心感が違います。
会社をクビになって自殺する人も多いですが、そんな深刻にならず、田舎で食うものでも作って暮らせば良いと思いません?