ひもじい人がいなくなりますように。

西日本新聞で、販売期限が過ぎた賞味期限内の弁当を貧困児童へ」という取り組みが紹介されていた。

FaceBookでシェアされていたり、賛否両論あるみたいだけど、僕は賛成の立場。

単純に、お腹がすいている人がいて、食べれなくてひもじい思いをしている。
一方で、まだ食べられるお弁当が沢山捨てられている。
何もしなければ単なるゴミになってしまうものが、ひもじい人を満たす事に対して、何が問題なのかがガチで謎だ。

意識高い人の中には、「貧困世帯の子供は廃棄の受け皿ではない!」と一見もっともらしく、かつどうでも良い主張を繰り広げている。

でも、考えてみてほしい。
じゃ、貧困世帯で食べられない者は、ひもじいまま我慢しろって事?

うーん。よくわからない。
それとも、フードチケットで税金で負担すれば気が済むのか?
やっぱりこれも変な気がする。

僕は、幼少期に両親と暮らせず、それなりに貧乏な生活を送って来た。
貧困世帯の子供の記事を見ると、あの日の自分を見るようだ。
「僕も裕福な家庭ではなかった」とか「私も貧乏だったのよね」とか言う人も居るけど、そんな人に限って「お小遣い付きに1万だよw?」とか平気で言ってくる。
月に1万円なんて、、、、働いてもいないのに貰った事も無い。

ステレオタイプな言い方をしてしまうと、「きっと、この人達には貧乏人の気持ちなど、わからんのだろう。昔国会で、総理大臣がコンビニでジュースがいくらするか聞かれて、500円?っていってたのと、変わらんのだろう。」と思ってしまう。

実は、福岡にも子供食堂ができている。この取り組みは、食料を提供する替わりに、調理を手伝ったりして、労働で払うというものだ。
食べられなくても、働けばなんとかなるという事を子供の頃から知る事が出来て、とても良い取り組みだと思う。
もちろん、こういうのを搾取の手段とするような人々が現れないとも限らない。
しかし、今の所そんな話は聞いていない。
労働基準法の児童労働の部分は改悪するわけにもいくまいし、最前の取り組みと言えると思う。

食事だけじゃない。

中学校や高校の制服は、長い間使うので非常に高価だ。それが買えなくて困ってる人も居る。
そんな人達のためのリユースの仕組みも必要だろう。
そもそも、中高生の成長期に、身長や体重を決めてしまって制服買うってのは、自然の摂理的にいかがなもんかと思うぞ(汗

僕は最近、NPOでもつくって、こう言った世の中に役立つ取り組みをしてみたいと思うようになって来た。
何かはじめようかしら うふふ。

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