改めてそう思うこんなシーンがあった。
あるプロジェクトに配属された他部署のA君を、B氏が呼びつけた。
内容は、A君が所属しているプロジェクトの進め方に問題があるというものだった。
本来であれば、A君のプロジェクトリーダーに言うべき事だ。
A君は派遣で社に常駐している他者の社員であり、なんの権限も無い。
会議の場で発言する事は許されていても、大枠の方向性はプロパー(派遣先の正社員)が年間計画の中で決めている事であり、どうにもできないのだ。
その方向性について、B氏は痛烈にA君を批判した。
A君は、上記のようの自分の立場からすると、に自分の領分をはるかに超た指摘だと釈明した。
ごもっともだと思う。
しかし、B氏はお前と話しても無駄だと言い、すっかり感情的になってしまった。
言われのない指摘や注意に、A君はすっかり肩を落とした。
会議室で彼は涙していた。きっと悔しかったんだろう。
それは、一生懸命だという事の表れだ。のんべんだらりとしていたら、悔しくもなんともない。
B氏の本当に言いたかった事は、その役割の枠組みを超えて、コントロールできるよう成長し、自分の役に立ってほしいという事だ。
だが、干支の分だけ年齢が下の後輩に対して、そんな物言いで伝わるだろうか?
この文章を読んでくださってるあなたなら、首を縦には振らないと思う。
伝えるというのは、自分の言葉を「ぶつける」のでは無く、届ける事じゃないだろうか?
会話とはキャッチボール。投げ手は受け手が取れる球を投げるべきだ。
「あいつは俺の言う事がわかっていない」と訝る人をよく見かける。
しかし、わかるように言葉を届けているのか甚だ疑問だ。
やはり指摘や注意は感情から切り離して行うべきだと改めて思った一幕だった。