ナンバー2の憂鬱

社会人生活を振り返って、ある事に気がついた。

僕は、集団のナンバー2に収まる事が多いという事だ。

先日、一緒に仕事しているナンバー1の仕事で抜けているところを見つけ、そっと、フォローしておいた。

結果、偉い人から褒められるのはナンバー1だ。結局僕の手柄にならないし、評価にも繋がらない

そんな時思い返してみると、そういう事ばかりだった。結果、自分は評価が薄いような気がして、もやもやしてしまっていた。

しかも、「軍師タイプですよね」とか、「〇〇リーダーを助けてやってくれ」という言葉を、昔からよく使われる。

自分自身、好きな歴史上の人物は、竹中半兵衛、黒田官兵衛、諸葛亮孔明を挙げることが多かった。。。そこで、少しこの問題に向き合ってみた。

1、フォロワーシップの人なのか?

@ttachiさんこと、立花さんの本やセミナーに参加した時「フォロワーシップに長けていて、誰かをフォローすることが好きな人は、独立しないのも選択肢。」という趣旨の話を聞いた。俺はそうなんだろうか。。

好きというか、仕事の穴が空いていたり、ガードが甘いところがあると、他の人が気がつかないので、自分がやるだけ。すると、いつのまにやらサポート役になってしまうのだ。

望むかどうかというより、行動がそうなってしまっている節がある。

2、主体的にも何かをしている。

café「あんていく」を作ってみたり、やりたい事、仕事を自分で作り出す事が出来てるので、主体性がないわけじゃ無い。

だから、必ずしもナンバー2である必要は無いはずだ。

3、そういえば、最近は徳川家康も好きだ。

ここ三、四年、僕は徳川家康の話をよく人にする。人は嫌な事を忘れたがるが、僕は根に持つタイプなので、忘れない事が多い。

屈辱的な嫌がらせの手紙は部屋に置いていて、2度と同じ屈辱を味わう事が無いよう、時々その事を思い出す。

同じ事をしているのが徳川家康で、「しかみ像」と言われる有名な絵がある。

  これは、徳川家康が武田に敗走した時、命からがら脱糞(笑)して逃げ帰った事があったらしい。

その時に屈辱を、忘れぬよう、同じ過ちを起こさないように、その時の姿を絵に描かせた。

そのエピソードを聞いて、家康にすごく親近感を持ったものだ。

家康といえば、天下統一を果たし、幕府を開いた人物。その幕府は200年以上続く事となる。彼は当初こそ織田を支えたものの、リーダーの中のリーダーと言える。

同じメンタリティを待つ僕が、ナンバー2体質と断定するのは、早計だろう。

という事で、自分の中で腑に落ちたので書いてみたよ。

じゃ、またねー!

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