ポジティブすぎる、経営者の哲学 その2

前回のブログの続きです。

言いたかったこと、それは、

なぜあの経営者達は、危機的状況にありながらも、あんなに毎日楽しくイキイキと過ごすことができるのか

そして、どうしたら俺たちは毎日楽しく生きていくことができるのか。あんな状況でも笑っていられるマインドを身につけることができたら、我々も楽しい人生を過ごせるのではないのか。

これが、伝えたかったことでした。

時間の関係で伝えることができませんでしたので、続き。

彼らと話をしていて、一番最初に気がついた事、それは

自分自身に対する否定的なコメントが一つも出ない事

前回のブログで、社員からクーデターを起こされた事を書いた。
主力のベテラン社員達は一人も居なくなり、一部の20代を除いては、新卒の若者たちだけが残った。

もし、僕らが社長だったらどうだろう?
近頃いろんなところで聞こえてくる謝罪会見のように

  • 「自分の不徳の致すところ」
  • 「いたらなかったばかりに、チームを崩壊させてしまった」
  • 「もっと話を聞いてやればよかった」

と、自責の言葉、反省の言葉を述べる人もいるのではないだろうか。
特に、真面目な人ほどそうだろう。

セオリーにあるように、他人ではなく自分に目を向け、次に失敗しないよう、自分を厳しく律する。
こういう人には好感が持てるし、多くの成功本でも、この他責ではなく、自責であるべきだと述べている。

しかし、僕が出会った経営者たちは違った。

当然経営状態の分析はしているのだが、過去に起こった過ちについては、全く執着していない。

それはもう、気持ち良いぐらいに。そして、彼らが述べるのは過去への反省や、部下への贖罪ではない。

「社員たちが辞めたおかげで、彼らのためにやっていたような事業から解放された。新しいことをやるチャンスだ」
と言ってはばからない。
「あの役員をなぜ幹部にしたかって?誰かがやらなくちゃいけなかったからねぇ」
なぜ、辞めると公言していた役員に事業を任せたのか聞いたときの話だった。

他にも、「自主的に頑張ってくれる社員には教育費など払う必要はない。だって、金をかけずに頑張ってくれるんだから」

彼らが考えるのはすでに、未来の事業についての事だ。過去の出来事や人情には全く関心が無い。
過去の事を考えていないので、部下に対する罪悪感は無く、反省の弁もない。
極端な話、部下がその後路頭に迷う事になろうとも、その出来事の因果関係に自分は全く関係ないと思っている。

こういう人は、人間として信用できないし、最低だと思う。

しかし、僕は思った。

こういう考え方だからこそ、過去にとらわれず、未来だけを見て行動し、多くの機会を得ることができているのではないか

つまり、チャレンジの結果、失敗によって生じさせるもの

  • 罪悪感
  • 敗北感
  • 自責の念
  • 他人を恨む気持ちい

こういったものを感じてしまうと、もはや行動ができなくなる。しかし、経営者たちは違う。

社長A、社長Bは、これらを全く感じないことによって、行動に縮こまりがない。
罪悪感も、後悔も、鬱もない。だから、すぐに次の行動に移れる。

さらにチャレンジし、良い側面だけを栄養にして育って行く。

例えば以下のような事をすぐにやる。

  • 事業プランの確立
  • 古参の社員にとらわれない時代にあった兵士の養成
  • 事業プランに参画する仲間集め
  • 資金調達

そして、これらの事をやる絶対数が多いから、結果として成功も多い。

つたり、多く打席に立つからヒットも打てるというわけだ。

彼らは失敗して落ち込まない。それどころかどんどん自分の道を歩いて失敗と成功を繰り返し、結果成功に近いところに集約している。

僕も見習って、最近は気にしないということが、だいぶできるようになった。
叱責してくる人間、失敗をネチネチ言ってくる人間、意味のない指摘をしてくる人間こんな人たちの罵詈雑言に自分の人生を消費するなんて、バカらしい。

心からそう思えるようになったからこそ、いろんなことを言われても比較的気にしなくなった。

ここで紹介したエピソードはほんの一部ですけど、経営者を見ていると、そんな世の中の道理が見えてきた気がする。

それでも、人間力の修養は忘れたくない。

それだけは強く思ったとです。

じゃ、またねー。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です