それでも、俺の人生で間違ってはいなかったと信じていること。

前回前々回のブログで、ポジティブすぎる経営者たちのメンタルを分析した。

そこで見えてきたものは、良くも悪くもマイナスの感情を抱かない経営者たち(もはや不思議な生き物)のマインドだった。
ここ数年の中で、大ヒットクラスの発見だ。

それでも、俺は彼らと同じようにはならないだろう。

1.誰だって、成功者になりたい
当然のことながら、誰だってお金は欲しい。裕福な生活をして、満たされた心で生活したいと思うだろう。
人間として、それはあまりにも当然のことだ。

2.人の痛みが見える以上、それは無視できない
でももし、自分が何不自由ない生活をおくれていたとする。
でも、その生活が、誰かの不幸の上に成り立っているものだとしたら、その時点でもう「幸せ」ではない。
人生をかけて「性善説」を否定し続けてきた俺だが、人間はそう単純なものじゃない。

「万物これ我に備わる」という論語の言葉がある。

これは、善なるものも、悪も、すべてのものは自分に備わっているという事。
聖人でも、邪な欲望に囁かれる時がある。どんな悪人でも何らかの善意や情が芽生える事がある。

自分の必要以上に裕福な生活が、部下の貧乏の上に成り立っているとしたら、みんな、気持ち良く贅沢できないんじゃないだろうか。
少なくとも、俺はそうだ。

俺の友達も、仲間も、そういう人が大多数だと思う。

3.喜びを与えてくれるもの
ホセ・ムヒカ大統領の言葉に「物やお金は、喜びを与えてくれるわけではない。生き物が、喜びを与えてくれる」というものがある。
高級車に乗り、豪邸に住み、たくさんのお金を持っても、部下や仲間に見放され、自分の権力の維持しか考えられないなんて、本当は辛くないだろうか。

先日、俺には幸せな事がいくつもあった。

前の会社でリストラにあった後輩が、九州の地震報道を聞いて、安否確認の連絡をくれた。
シーズンには、彼の実家でとれた最高のフルーツを送ってくれた。それがまた美味しかった。

別の娘も連絡をくれた。そして、妊娠、出産の報告も受けて、なんだか嬉しかった。

独立していた時の部下が訪ねてきてくれた。教えたスキルのおかげで食べていけていると言ってくれた。
とても嬉しかった。

みんな、未だに仕事のことや、人生のことで、相談をしてくれる。
そりゃ、お金も欲しいけど、俺はこういう喜びに包まれて生きていきたいな。
経営者たちのポジティブスキルは自分のものにさせてもらうが、俺はこの喜びの「実感」を信じている。

じゃ、またねー。

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