価値材、非価値材の考え方。欲しい車を買ったけど、それは俺の本当の欲望だったのか?

先日も書いた「オイコノミア」の中で、価値財、非価値財という考え方が紹介されていた。

どういう事かっていうと、以下のような感じだ。

価値財、非価値財の考え方

主に、お金で測る価値というものについてだけど、以下のような場合について考えて欲しい。
あなたは、家を持っていると仮定する。

場合その1
あなたの街の皆は、1億円の資産価値の家に住んでいるが、あなたは3千万円の価値の家に住んでいるとしよう。

場合その2
あなたの街の皆は、1千万円の資産価値の家に住んでいるが、あなたは3千万円の家に住んでいる。

現実だけを比べると、3千万円の家に住んでいるというあなたの家の価値は変わらないはずだが、場合1のように、「人と比べてどうか」というように、私達は考えがちだ。。

人生にしてもそうだ。
「あいつに比べて俺の人生はどうだ。」とか「なんで俺があいつに負けないといけないんだ」とか思ってしまう。

今乗っている車は、日産のTIANAという車で、高級車の部類に入る。

程度の良いものを安く仕入れたので、実際は新車のミニバンとさほど変わらない値段だった。

社会人になってすぐにこの車が発表された。CMでは「車にモダンリビングの考え方を」という、コンセプトが使われていた。

コンセプト通り、僕は車の内装がとても気に入り、車を購入した。

助手席にはリクライニングする足置きがあり、シートの調整はスイッチで自動でできる。

Bluetoothが出はじめに発売された年式だったが、ハンドルには応答スイッチがあり、iPhoneで手放しで話ができる。
みんな「よく買えたね!」凄いね!と言ってくれた。自分も憧れの車を褒められて、とても気分が良かった。

しかし、最近思う。

高級車は乗り心地が良いが、これからのことを(狩猟や農業)考えると、軽の四駆が良いんじゃ無いのか?と。

しかし、先日書いた車に関するblog記事でもあった通り、軽だと人に舐められる(☼ Д ☼)

と、心の一部がざわついてしまう。

「価値財」の観念に魅入られている自分に気がつく。

念のために書くと、別にクルマなんて持つ必要がなければ、持たなくて良いと思う。

しかし、様々な事情で僕は車を持っている。車について、最終的にはこう思う。

「俺は、かっこいい車に乗りたかっただけで、別に人からどう言われようが、知ったことでは無い。」

今はそう思える。軽の四駆を買って、ジェットスキーを仕入れた方が、夏を楽しく過ごせそうだ。

じゃ、またねー!


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